私の中のわたし

2017年秋。発達障害(ADHD,広汎性発達障害)だと診断を受けてから、記録としてブロブを始めました。

前回の投稿から今までの出来事②

ツイッターのいろんなアカウトをネットサーフィンしながら見てるとある瞬間、その内容が全て自分に関わりある内容が書かれている。さっき見たばかりのは内容が今度は自分あての内容に瞬時に変わってる。そのうちほかのアプリを開いてみるとすごく荒んだ画面がでてくる。いつも見てるはずの画面がまるで何かのウイルスが入り込んだように荒れている。

まじめに携帯電話にウイルスが入ってしまったと思った。そのうち自分がしたのか、幻想だったのかわからないが、携帯がピカッと光って、あなたの居場所が特定されたというようなツイッターをみる。

もう、その瞬間から恐ろしくなり、なんとか携帯のI.D.を変えようとするのだが、うまくいかなかい。完全に乗っ取られてしまったと思った。

ネットを開くとその書かれている内容がまるで裏のサイトのどこかに誘導されたかのように、すべてが卑猥な内容になっている。

ツイッターも今まではそんなことなかったのに、知っていたアカウトがみんな卑猥な言葉をつぶやき始めた。

自分の頭が誤作動を起こしてるなんてまさかその時は思いもよらず、もう恐ろしくて恐ろしくてしかたなかった。

昔働いてひどくいじめられた出来事から、ある人の恨みをかって、自分は監視されていて、私がネット上でみる全ては誘導され、私を精神的に追い詰める目的だと思い始める。

そんなふうに考え出すと日常に起こったすべてのことを関連づけて、私の人生そのものはある人にコントロールされていると思い込んだ。

命を取らないギリギリのところで、自分を精神的に追い詰め、崩壊させる。それがその人の復讐だと思った。

家には盗聴器が仕掛けられ、おそらく会話は筒抜けになっていて、留守の間に部屋のものを触られていたんだと思った。

家族の病気やいろんなトラブルはすべて仕組まれたもので、いよいよその復讐のクライマックス、自分にそうだと気づかせたんだと思った。

自分がたまたまネットをいろいろ見ているうちにその仕掛けに辿りついてしまったと思った。

もう、こんなふうに当時の記憶を思い出すと、今でも少し、実はそうなのではないかという不安がどこかにわずか残っていて払拭できないところがある。(だから処方が続いてるわけだが)

その晩、父が出かけていたので、無事に帰って来れないのではないかと心配になり、また父の不在の間に母と私だけのところに誰かが押しかけて来ると思った。すべては彼らの手中にあるのだと思った。

不安で怖くてしかたなく、寝ている母のベッドの横で、早く父が帰ってこないか、早く帰ってきてほしいと訴えていた。

いつもの様子と違う自分に気がついて、母は父に連絡した。まもなく父が帰ってくる。

今日はとにかく眠れない。夜が明けたら警察に行ったらいいのだろうかなどと考えていた。

どうしても寝ないという私に父は知り合いの人に頼んで、睡眠薬を持ってきてもらい、飲ませようとした。むきだしの薬はまるで毒のように見え、その薬を持ってきた人は回し者だと信じていた。

収拾がつかない状況をなんとかしないといけないと思い、寝るとウソをつき、布団に横になる。その後、疲れ切って自分もいつの間にか寝てしまっていた。

翌朝、病院が開く時間になるとすぐ、強制的に病院に連れて行かれた。

もう、その頃には自分の父親すら、コントロールされていると思っていた。

そして私を精神病棟に入れるという彼らの最終目的が完結されたんだなぁと思った。

その時は、ただただ泣くことしかできなかった。

前回の投稿から今までの出来事①

ツイッターを使っていたから、ここやフェイスブックへの投稿はほとんどしてなかった。

前回のブログの投稿からずいぶんいろんなことがあった。

2月末に二時障害を拗らせて1ヶ月間入院した。

当時は仕事のストレスが積もりに積もって多分限界に来てたんだと思う。

薬はマックス💊飲んでいたけれど、忘れてのまなかったり、間違えて飲んだりも日常茶飯事で、食べ物もほとんど摂れてなかったから、人生マックス痩せてた。

睡眠も少なくて一日、3時間くらいの生活を数ヶ月続けていた。

インターネットばかりみてほとんどその世界の中に生きてるみたいな感覚だった。

少しずつ積もったものがある時、インフルエンザという最悪のタイミングとともにやってきた。

今まで、身体は丈夫で風邪はほとんど引いたことがなかった。薬のせいか、おかげで冬でも全く寒くなく、腕まくりして外を歩けるほどに代謝も高く、いつも汗をかいていた。

夏はクーラーをつけても汗が半端なくでる。

副作用はほかにも、口渇がひどく、いつも水を飲むか、飴を食べるなどしないと喋れなくなるほどでした。

それでもなんとか身体も心も誤魔化し誤魔化し生きてきた反動がとうとう来てしまった。

 

役者

先週末、知り合いの演劇を見に行きました。

 

セリフは、ほぼなく、武術やアクロバットの本格的なパフォーマーが身体で表現する。効果音は全てビートボックスが表現し、音楽はドラムとソウルフルな声を持つ歌い手による生歌でした。

表現しにくいが、とにかく直接みれば彼らの舞台がどういうものかがわかる。

最近は本当に彼ら作品が好きで、年に数回、それだけを観るために週末飛行機で、東京に行く。

 

私は舞台が好きで、昔からよくいろんなものを観に行きました。

目の前でライブでみている感覚が好きなのだ。

そこにある全ての要素が、一つ一つ材料となって、その日だけの作品があるからだ。

 

俳優さんは、台本があり、監督がいて、本来の自分ではない自分を表現するんだけど、そこがすごいなぁと尊敬する。

 

与えられた役をどう演じるのか、役作りをしたり、身体を鍛えたりして、目指す役を仕上げる。

 

よくこの世の世界は、生まれて来る前に自分でシナリオを書いて生まれて来るといい、そういう意味では、本来の自分がありながら、その自分がいろんな体験をするためにその舞台を選んでいるのだ。

 

だから、自分は自分の人生における役者かなと思うんだけど、自分はADHDという特徴を持つと知ってからは、ある意味、自分ではない自分を振る舞うために、毎日過ごすことは、自分でシナリオを書き、そのように演じる自己政策の舞台の役者だなと思うようになった。

普通に振る舞うシナリオ。

 

私はまだほとんど明かしていないので、近い将来、いつか、彼ら俳優さんに、演じるということについて、話してみたいなと思います。

 

 

 

 

 

そのように感じないことを理解し、そのように演じなくてはいけない。

 

セルトラリン錠 25mg (抗うつ剤 )が増える

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今日からのお薬に、抗うつ剤が増えた。

 

今、ADHDの薬は、2種類を最大量まで飲んでいて、先月までは徐々にいろいろ安定していたので落ち着いていたんだけど。

 

ここ1週間あまり食べ物が欲しくない。

そして、ここ2-3日の気分の落ち込みがひどく

すぐ涙が溢れてくる。

特に職場ではまともに会話をすることができなくなっている。

今日、久しぶりに体重を測ったら、去年10月から8キロ痩せていた。

 

感情の中心は、自己嫌悪、失望、孤独。

 

やる気が出ない訳じゃない。

億劫なのかと先生が聞かれ、

薬剤師さんもやる気がでないですかと聞いた。

 

だるい訳でもやる気がない訳でもない。ただとてつもない虚無感と居た堪れない気持ち。

 

他の人は当たり前にできることが私にはわからない。朝早くに起きて会社に誰よりも早く行き、最後に帰る。無駄な話はせず、やれることは、時間内懸命にしてるんだけど、評価はされず、できないことに呆れられ、事情を知ってる一部の人に言われる言葉は、病気を明かす前は、どうしてできないの?明かした今は、あなたにできないとは思えない、誰もがやってる努力で、特別なことじゃない、あなたはただやっていないだけだと言われる。

特別じゃない誰もができることができないのだという部分は、どうしても理解してもらえない。

これ以上頑張るために、私は24時間、365日仕事のことを考えなくてはいけないレベル。

 

一日中、自分が正しく行動するためのありとあらゆる、こうしなきゃいけないリストをチェックし、さらに毎日指摘される新たな間違いをメモし、反省し、こうしなきゃいけないリストを更新する。こうしなきゃいけないリストを見ていても、同じ失敗をしてしまう。

 

家に帰ると頭はぐったり、空腹のマックスは、とっくに過ぎ、もはや、何も食べれないほどの疲労で倒れこむ。明日までに出さなくてはいけない報告書を毎日書けず帰るから、家でやらなきゃいけないけれど、もう頭は働かない。

それでも少しの気晴らしのために、SNSをみたり、ただ好きな音楽の動画をみる時間をとる。

ひどい時には、ここで過集中で何時間もスマホを触ってる。朝は報告書と掃除をするため、みんなより2時間早く行く。それでも上司が来る時間ギリギリまでかかって書く報告書も、何度も見直さないと誤字脱字、文章の倒置法があちこちにある。

そして、また注意される。目の前のデスクで2人の上司が朝一番で報告書の添付された私のメールを見てる時間は、もう、生きた心地がしない。何も言われないけど、指をポキポキ鳴らされたりするだけで、何か粗相があったんだろうと怯える。

何も言われない日がほとんどだが、指摘する時間がないから、昼に言われることもある。

 

そうして、一日をまた色々考えながら過ごす。

自分の中のあーしたらどうだろう、こうしたらどうだろうと前向きな解決策を冷静に考えようと思えるようになったことは、薬のおかげだと思う。

 

ただ、薬を飲んでも、うまくいくための努力とノウハウを工夫するだけで、治らないのだから、少しずつ自分を励まし、騙し騙し進んできたこの半年のツケが溜まっていたのかも知れない。

 

ステラテラの増量時に一時期、ひどく落ち込んだことがあった。全く思考が働かず、ただ景色を見てるだけのような感覚で、人とも何を話したらいいか全くわからない。

 

その時も抗うつ剤を薦められたが、その時は本当に怖くて、これ以上薬は飲みたくないと思い我慢した。

 

でも今回は、この生活、この仕事を続ける限り何かしなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンサータ +ストラテラ 飲み始めて4ヶ月。

9月にADHDと診断され、その特性から私は、2つの薬を同時に飲むとスタイルを続けています。

まず、ストラテラだけ、その後、コンサータに変えるなどの飲み方をされている人もいるが、私は脳の多動性のためのストラテラと不注意などに集中力をあげるためにコンサータを摂っていると思います。

はじめは、ひどい副作用で吐き気、めまい、食欲不振、中途覚醒、頭痛など2つ飲んでいるので、どの副作用がどっちのものかも、はじめはわからず、一時はあまりの気持ち悪さに飲むのをやめてしまいたいと思うこともありました。

 

最近は、そういった副作用はほとんどなく、時々胸のムカムカがあったりはするが、落ち着いてきている。今のところ一番困るのは、口渇かな。冬の乾燥に加え、口の中もカラカラに乾くので、常に水やあめ、フリスクなどを持ち歩いている。

 

効果については、まずは色んなことを考えられるようになった。思考力がついた気はする。今までは思いつくだけで、考えて導き出すとは違う。思いついても実行力に結びつかなかった。

今は具体性が増した。少しずつ自分の意思で動いて結果に結びつけられる。継続性が増した。

 

不安な気持ちが少なくなってきた。以前は怒られる、うまくいかない不安が常にある感じ。

人の個性は、脳の個性?

自分探しをしてきました。

自分がわからなかった。どんな人なんだろう。

経験を積むか、どんな環境で育ったか、

状況と体験で、反応が決まり、性格と呼ばれる。環境だけでは、どうしようもないことがある。それは、そう感じれるかどうか?

感情とは、脳の機能で起こる。  

薬でコントロールすることもできる。

価値観は、どんな状況をどんな感情になる経験を積み重ねたかなのではないか、

思いつくのではなく、意識して考えることができるかも、差がある。

 

性格ではなく、生まれもった環境や体験で作られるプラス、その人の脳の特性がどうだということにあると思う。

いいところ、悪いところは脳の特性

 

体があり、臓器がありと、入れ物、ハードは同じでも、システムが違うのだ。Windowsなのか、Macなのかみたいな。

同じようなことはできるけど、少し違う。

その性能にも差があり、WindowsMacにインストールしようとしても入らないし、互換性があるものは、使えるけど、完璧ではない。

 

そんな感じ。それぞれに合ったアプリケーションが必要だし、いくら似たようなものでも、違うのだ。なぜ、動かないんだと言われても、動かない仕様なのだ。

それをカバーしながら生きていかなければならない。その他大勢が、Windowsの時代は、Macが理解されにくかったように、ガラケーの時代は、スマホが絵文字もデコメも出来ないと、避難された。

別にMacがいいと言ってるわけではないが、

たくさんの人が支持すれば、それが 標準なのだ。今はスマホが標準じゃないか。

つまり、その良さを理解できるかどうかなのだ。

 

少し話がずれてきたけど、個性は作られるし、それは脳の仕様によるものが大きいかなと感じるということだ。

 

 

12月20日 誕生日

46年前、私は横浜の戸塚で生まれました。当時、両親が出会い結婚し、住んでいました。

今日はその両親が、ケーキを買ってくれてました。そして、2人でハッピーバースデー🎵と歌ってくれました。

 

今までもきっと小さい頃は歌ってもらったかもしれないけど、大きくなって、2人ももうおじいちゃん、おばあちゃんの年になって、私のために歌ってお祝いしてくれて、思わずウル😭としてしまいました。

 

今日も例外なく失敗ぼかり、何度も何度も同じことで注意され、怒られ、呆れられて、聞くのも苦痛、言う方も気分がいいわけないんだけど、ほとほと、こんな自分が情けないと思いました。他人のことは同情できて、大丈夫と思ってあげられても、自分のことは、なかなかそうは思えないものです。

 

私のこの弱点を娘から告白された両親のことを思うと、なるべく辛いところはみせたくないなと思いますが、どうして、こんなに大変なのかなと自分をどうしても責めてしまいます。

 

会社で1人で、作業してると、かってに涙が出てくるし、泣き腫らした顔で帰るわけに行かず、でも本当にこんなに優しい両親のもとに生まれただけでありがたいと思いました。

 

私の中では、去年とは全く違う誕生日なのですが、毎年変わらず、お誕生日のメッセージをくれる人も、いつも良くしてくれる人も、そんなに話してるわけじゃない人も、おめでとうを言ってくれました。

私の事情を知らない、今までの自分でも、こうしておめでとうを言ってくれる人はいるじゃんと。

 

こんなハッピーな日のはずなのに、ちょっと挫けそうだったので、みんながとても優しく、あったかいハートを感じました。

 

今までは、人生って楽しいなと思って過ごしてきたのに、今の自分は、周りに合わせる人になるために一生懸命訓練している気がします。

 

そのままでも十分あなたのことは私は大好きだよと自分に言ってあげたいと思います。

 

また明日から、頑張れるかな。

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