私の中のわたし

2017年秋。発達障害(ADHD,広汎性発達障害)だと診断を受けてから、記録としてブロブを始めました。

自分探し 人生は修行 。

私の生きてきたテーマは、修行。

そのために、いろんなことをしてきた。

でも同じことを繰り返してしまう。

いろんな問題。課題。

時々、問題からそれて、一見解決したように思えるんだけど、思い過ごし、また繰り返す。

 

今回の診断で、はっきり、テーマは絞れたと思う。

何を考えても、解決に結びつかない、上面を撫でてるだけ、ちっとも、かゆいところに手が届かず、見当はずれ。

ふわふわ、ふわふわ自分が、どこかを彷徨ってる感じ。

その理由は、頭の多動で、ものごとが完結しない。常にあちこちに思考が飛んでしまう。

いろんなことをその時は覚えていると思っても、時が経つと忘れてしまう。

 

忘れやすいから、その場を味わうことが好きで、音楽や、演劇や、ライブや、読書の空想や物語の中は、その時を集中できる。

 

でも現実世界は、どこかに私だけ浮いてて、ちっとも馴染めなくて、

 

自分は宇宙人かとスピリチュアルに夢中になったり、

 

理想論ばかりが、空回りして、その価値感が正しいのかどうかは、問題ではなく、

現実からは、かなり離れていると感じていた。

 

本当の自分は、どこに行けばいいのか、

何をしたらいいのか、私の役目は何なのか、そんなことをいつも感じていた。

 

人生の目的なんて、その人がしたいことをする、自分が一番興味あることをするとしたら、それは、私にとって、私自身かもしれません。

 

私は私が好きですが、コントロールできません。うまく表現できません。

 

こうしてる今もそんな自分をどうしたらいいかと思ってるのです。

 

発達障害という、少し珍しいソフトがインストールされていたのですが、生まれたときからの基本ソフトで、誰も教えてくれないし、デスクトップにもなく、説明書もなく、どうも動作環境が悪いんだよなと思ってた感じ。

 

今回、このちょっと出来の悪いコンピュータを雇用した会社があまりにも、おかしいし、使えないから、いろいろ調べ、いくらいろんなソフトを入れても更新しても、うまく動かなかったのは、実はシステムそのものが珍しいタイプだったって感じ。

 

それは、非常にオリジナルで、こうすればいいという完璧なマニュアルは、ありません。

 

その取り扱い説明書を今、私は一生懸命作成中です。

 

ひょっとしたら、エクセルやワードやアウトルックはうまく作動しないかもしれませんが、

別の使い道には、何か非常に便利な機能が備わっているかもしれません。

 

生まれてくるためのテーマがこんなに興味深いものを選んできたなんて面白いなと自分では、思います。

 

これからは、やっとどこか少し腑に落ちた気持ちで生きていける気がしています。

自分のためだけに生きるだけでなく、もっとまわりと、関われるようになるといいなとは思います。

 

文章を書くということ

私は、書くことは嫌いではない。考えていることを書くのは、難しくない。次から次へと頭に浮かんでくることをただ自由に書くだけなら。ただ、目的のある資料は作れない。興味がないことを無理やり書くのは、かなり難しい。そもそも、考えが全くまとまらないのを、書き始めても、読んでる方も書いてる方も意味がわからない。後で読み返すと主語がない、文章が終わらないまま、次の話題が始まったり、文章の途中で。このように、。で終わったりしてしまっている。同じ言葉やフレーズをタイピングで何度も書いてしまう。誤字脱字が多い。

思いついたまま、打つので、文法がおかしくなる。伝えたいことが先に来て、後から主語をたして、また副詞が入ってみたいな、めちゃくちゃになってしまう。読み返せば、直すことはできるのだが、書いてる途中では、文の前半に、何を書いたのか、頭から消えていくので、読み返してながら、書かなくてはならないので、ものすごく時間がかかるのだ。

ワーキングメモリーの容量が少ないという特徴のためだが、初めは全く気づいていなかった。

 

今回、受診に至る少し前、2次障害も引き起して悪化していた時期に、一番ひどい時には、文章をキーボードで、打ちながら、次のアルファベットがわからないというか、今、何を打ったのか、わからないという症状が出たことで、これはただのミスのレベルを超えてるなと思い始める。

 

時々、こうしたブログやフェイスブックなどの投稿も読み返すと、あれれ、へんな文章だったとか、何かこんなことが伝えたいんじゃなかったのになと思って訂正することがある。

 

私にとって、今、最大の問題と試練は、毎日の日報を書く業務である。

 

事実を思い出せてるか、自信がもてなかったり、書くことがまとまらない、タイピングに恐ろしく時間がかかる。普通は、せいぜい時間かけても、30分くらいですと言われているのだが、奇跡的パワーが出たのは、始めて薬を飲んだ時だけだった。30分ぐらいで書けたことと、集中してるからか、たくさんのことをしても時間が経つのが非常に遅く感じた。

 

この時間の感覚や集中力や記憶力は、普通の人とは違うのかなと思うことがある。薬を飲み始めてからは、少しマシな時と、できない時とあって改善はしていないなと感じる部分である。

 

時間や記憶については、また書いてみます。

 

 

先延ばしの癖の結果、職場で怒られる。

これをやっておいてねと、随分前に言われ、そして、途中何度もどうなっているか聞かれていたのにも関わらず、先延ばしをしてしまって、わかってはいたのに、手をつけられずにいた。

もう、あと一歩で上司がキレるというタイミングでお尻に火がつき、なんとかギリギリ、間に合わせるみたいな仕事をしてしまった。

そして、何度も言ったよね。何でやらなかったの?と言われる。

何でに答えられる相手が理解できる理由はない、やろうと思ってるけど、やらなきゃと思っていても、手をつけられずにいる。そこへ行動できず、避けてしまう。時間がない訳でもない。やることは難しいことでもない。でも先延ばしをしてしまうのだ。どこかで、今日は少しやろう、明日やろう、今週末やろうと少しずつ逃げるのだ。

そんなこと言えないので、ほかの言い訳をしたが、到底理解してもらえないし、答えにもなっていない。

納得するであろう理想の答えは、やらずに怠けていたから。

でも、そうではないのだ。やらなきゃ、やらなきゃと思っているのにできない。

だってこれがADHDの特徴の1つ、病気の特徴なんですとも、やはり言えない。

 

これは当事者には、きっとよくわかると思う。

 

上司は、私の障害を知っているので、はじめの頃は気を使って、出来るだけわかりやすく、丁寧にと指示も気をつけてもらっていた。最近はわたしが落ち着いてることもあって、また普段から、いちいち、今はこう感じているんですと、説明する訳ではないので、特に、広汎性発達障害の部分は、普通の人にとっては、その特徴は、特殊なものだから、説明も理解を求めるのも難しい。

 

結局ギリギリ何とか取り掛かったのだが、やはり、どういうつもりで、勝手に重要な仕事を理由もなく後回しにするんだと大目玉を食らう。

仕事への思いがない。その重要性、どんな理由で何が大切なのかなどを、延々と話しはじめた。

 

そこです。それをはじめに、聞いていれば、捉え方が変わって、結果も変わっていたかもしれない。

つまり、人に興味がない自分にとって、今は自分がどう変わっていかなきゃならないのかが精一杯で、正直、何のための仕事が、その仕事の大事な意味は何なのかなんて、到底思いつきもしないのです。

自分で書いてて、ろくでもないなと思うから、周りからみたら、どういう神経してるんだと思われるだろうなと普通は思うんだろうなと感じる。

この障害だと知るまでは、自分の価値観はほかの人と違うだけとか、人に興味もってないと、なぜいけないんだろうとか思っていたので、

クールとか冷たいと言われることもあった。

 

薬で治療後、最近の僅かに感じる変化は、

怒られても自分をあまり責めなくなったことと、自己嫌悪に陥らなくなったことである。

落ち込むには落ち込むし、ショックで、悔しいけど、障害だから仕方ないんだ。

あとは方法を身につければいいんだと冷静に考えられるようになって来たことだ。

 

 

薬が怖い

今まで、ここ数年、風邪すら引かない私は、頭が痛い時に、頭痛薬を飲むくらいで、ほとんど薬は飲んだことがない。

生理痛もほとんどなかったので、数ヶ月前に生理痛が酷く、のたうちまわっていたら、痛み止め飲んだら、楽になるよと言われ、頭痛薬は、生理の痛みにもいいのかと、言われるまで気づかないレベルだった。

 

それが、毎日、四六時中、薬が効いた状態を維持するために、薬を飲む。副作用を抑えるために違う薬を飲む。飲むことをさらっと提案される。こんなに大量の薬を飲んで大丈夫なんだろうかと思う。

 

初めて飲んだその日に衝撃が走るほどの、違いを体験したことで、これは、私の症状を改善してくれるに違いないと大きく期待した。

 

同時に、これだけ薬を飲まなきゃいけないほど、私は、ダメなのか?今までだって、楽しく生きてこれてたじゃないかと、頭のどこかでふと思う。

 

自立支援でお金はかからないけど、私は、改善してるというより、本来の私を無くしてしまうんじゃないかと思う。

 

私は私がそれほど嫌いじゃなかった。

でも仕事では認められないし、他の人とうまく交流できなかった。できてる自信はどこにもない。生きていくためには、どちらも必要なことだとは思う。

 

でも薬は生きていくためには、良くない気もする。普通の人として、生きていくために、本来の健康な部分を傷つけながら、脳だけ無理やり、働かせている。そんな気がする。

 

今日は、どうも前向きになれない。

効きすぎてるんかな。

薬はなんか、おっかないな。

自立支援医療等時給者証(精神通院)届く

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届きました。

精神通院…。

この言葉がなんとなく楽しくない響きです😅

 

ただ、これで、広島に住んでる私は、自己負担額も市が負担してくれるそうなので、安心して、しっかり通院することができます。

 

薬代💊は、めちゃくちゃ高いので助かります。

 

 

 

 

コンサータとストラテラについて、現状と今までを少し振り返って

今、現在飲んでいる薬は、

 

コンサータ   36 mg   18mg     朝、昼

ストラテラ  40mg  朝、夕

鉄剤           朝   

胃薬          朝、昼、夜   食前

 

はじめから比べると増量しています。

 

副作用は、はじめに比べるとかなり慣れてきたのですが、

胸のムカムカ

不眠

口渇    

  これが一番ひどい。  

  水をひっきりなしのんでます。

  喋るのが大変なほど口が乾きます。

 

飲み始めた頃は、半分の量でしたが、副作用は、すざまじかった。

 

  当初の副作用は、以下のような感じ

 

胸のあたりが、ムカムカするので、まったく食べ物が食べたくない。         食べようという気持ちが全く起こらない。

 

めまい

座って立ち上がるたびに、ぐらぐら何かつかまらないといけない、 

しばらくその場でじっと耐える感じでした。

 

薬を飲み始めて、10分ほどで、心臓がドキドキして、動悸がはじまる。

 

実際、1分で90位の頻脈になる。

 

今でも、常に、平均88です。

もう心臓はドキドキを感じないので、どうなってるんだか。

考えると少し怖いな。

 

このムカムカと立ちくらみの気分の悪さが飲んで2時間くらいでピークになり、

しばらく続く。そのあと、ピタッととまり、頭はクリアになって、眠気がなく、

身体が楽になる感覚。集中力が上がるので、しゃんとする感じ。

 

ADHDの特徴として、

忘れっぽいので、薬をのみ忘れることもあり

 

はじめの頃は、頭の多動が始まっているのがわかった。

とりとめのないことが、常に頭をめぐり、目の前のことに集中できず、

他のことをし始めるみたいな感覚。

 

今では、飲み始めた頃の劇的な変化は、感じないけど、

飲み忘れた時は、薬飲んで切れると虚脱感と疲労感で、眠くなる感じ。

 

前回の受診日に、

倍を試してみる価値があると言われたが、

コンサータを朝だけ、2倍にしました。

 

副作用が怖かったからです。

今は胃薬を飲んでるので、吐き気はおさまり、

立ちくらみもおさまりましたが、

口渇がひどいです。

水がないと大変、特に出先では、困ります。

 

最終的はやめますからと医者には、言われていますが、

今はまだ、増量の途中?適正量を知る段階なのか。。

 

薬に関しては、

色々な体験と感情とを繰り返したので、

そのことは改めて、また書くことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年相応

〇〇ちゃんって、その年にみえないよね。というのは、昔から言われていて、20代の頃は、いつまでも何か子供っぽいなという印象。30代は童顔だね。後半になると20代に見えるねと言われてきた。そして今、45歳。とてもそんな年にはみえない。どうせ年を取るんだから、若くみれた方がいいやと思っていたのは、30代まで、今となっては、ものすごい違和感がある。

キョロキョロしてしまうし、へんな表情をしてしまうし、すてきな笑顔はなかなか、つくれないから、客観的にみたら、完全にどこか変わってる人です。

自分がこの障害と知らない頃は、私がもし、自分を他人として接することがあったら、ちょっと大丈夫かな。どんな育てられ方したんかな、よほど、何も知らなそうだな。といった印象を持つだろうと、不思議なことに自分でそう思っていた。

 

何で私は年相応に見られないのかな、年相応な大人の落ち着きがないのかな、結婚してないからかな、子供がいないからかな、少し変わった価値観だからかなと、思っていました。

 

でも、この障害を持つ方は、比較的若くみられるのかなと思います。見ためだけではなく、雰囲気が大人っぽく感じないというか。若いうちはいいのですが、大人になればなるほど、今度は逆に、違和感の方が強くなります。

 

若くみえると言われるのは、今は、若々しいというより、未熟にみえるんだと思う。

 

もはや、褒め言葉とも受け止められない微妙な感じで複雑な心境にいつもなります。