セカイノオワリ 銀河街の悪夢 FIGHT MUSIC
自分がADHDかもしれないと思っていた頃から、そしてそうだとわかってからも、
有名な人たちの中にも、同じ障害を抱えている人たちがいると知り、
まぁ、実際に会ったことないので、そうだと言われてもピンと来ないんだけど。
この音楽グループのボーカルの方が、
やはり同じ障害をもっていると知り、
ほんと最近、1週間前にほぼちゃんとはじめて彼らの音楽を聞いてみました。
もちろん名前は聞いたことあったけど、
若者が聞くんだろうなとか、
セカイノオワリとは、
なんかネガティブな名前だ、ローマ字表記だから何となくお洒落だけど、世界の終わりって(^_^*)なぁという。
聞いてみるというまでには、至っていなかったのです。
「ドラゲナイ、ドラゲナイ」と言ってる英語のPVは見たことあって、英語上手だなとか、音楽と映像が頭には残っていました。
旗を背負って、革命を起こすみたいなイメージ、とても独特できれいな映像は、映画や舞台好きの私は、このPVはいいなぁと思った記憶はあります。
今回は、まぁ、そんなこんなで、どんな音楽なんだろう、聞いてみようと思いました。
音楽も歌詞も好きでした。
ほかにはどんな曲があるんだと
アルバムを全てダウンロードし、
今、端から端まで聞いてみている途中です。
そうして、ある曲のあるフレーズまで、
来た時に、あーこの人も同じだとはっきりわかり、そして、涙が出ました。
「強くなれ、僕の同志よ。。」
「銀河街の悪夢」という曲の最後のフレーズです。
それまでの歌詞の内容もよくわかります。
昨日も一昨日も変わろうとしたけど、
今日も僕は変われないまま今日がまた終わって行く。
まさに、日々この繰り返しです。
薬を飲めば、改善している点もあるんです。
でも変われないこともたくさんあって、
何度も何度も繰り返すのです。
何度も何度も、そうして毎日が過ぎて行きます。
そして薬に関しては、
まさに、はじめは、ゼロから1感じただけで、あれ、全然世界が違う、すごいぞ、私も変われるかもしれないと思うので、とても魅力的なんですけど、その反対の顔を見せ始めるのです。
増量になった時、おとなしくなり過ぎて、感情も楽しみも無くなって、ただうまく社会で生きるために、私はこうして、感情すら無くなるのかなとか、自分が違う人になってしまうような変化に、治ってるんじゃなくて、
まさに
「僕の身体が壊れていく。。」 感覚。
もう、普通になるために、薬の飲むのはやめようかとか、普通になるのは、こんなにつまんないものなのか、こんなにも、無機質で、こんなにも静寂なのかとか、もう、喋ることすら思いつかず、喋る言葉も意欲も消されていく感覚でした。
怖くて、逃げたくなりました。
怖くて増量した薬をこっそり、やめた日もあります。
今は副作用を和らげるお薬を飲み、身体が慣れてきて、その頃より量も増えていますが、
今のところ、感情は取り戻しています。
私のセカイはこの診断を受けて治療が始まって、たしかに、今までの自分で感じてきた私のセカイが終わり、新たな私が始まっているので、セカイノオワリも正しく、セカイノハジマリでもあるわけです。
まだまだ、彼らの音楽は、聴き始めたばかりですが、とても楽しく聴いてます。
日々どうしたらいいかと、道を生き方を探し、もがいてる最中です。
ほんとにいますぐ欲しいのは、
ソレから逃げる「理由」じゃなくて、
ソレと戦う「勇気」です。
ソレすら、何なんだろうと掴み所がなくて、
確かにソレから逃げず、ソレと戦わなければいけないのはわかってるんだけど、ソレは、自分なのか、世間なのか、自分が抱える問題なのか、何と戦ってるかは、よくわかりません。
彼らの音楽は、まさに、今の私に、とっては
「Fight Music」
なのかもしれないなぁと思います。
思いつくまま書いたけど、
途中に、頭に思い浮かぶ、いろんな考えや感情
を置き去りにしてるので、それは、また別の機会に、書こうかなと思います。
感覚過敏 臭い・香りについて
振り返りながら書いているため、内容は前後するが、感覚過敏について書いてみようと思う。
発達障害の状態の1つとして、感覚過敏というものがある。
私が影響受けやすいものの1つは、においである。
短所
においが気になってしようがないことがある。
家族に言わせるとすごい鼻効きだという。高齢の親にとって若干、鼻が効きにくくなっているのか、私が効きすぎるのか分からないが、何か不快なにおいがしてくると、ものすごく気になり、そこに意識を取られてしまって、集中出来なくなる。
例えば、魚の生臭いにおい、洗濯物の生乾きのにおい、これは家の中ででしていると耐えられない。
おじさんの整髪料のにおい、おばさんの化粧品のにおい、車用の油くさい芳香剤のにおいなどもかなり不快。
マスクをするなどするが、そのにおいに神経の集中が奪われ、その中で何がをすることは非常に困難です。
長所
いい香りなら、イマジネーションが広がる。
私はアロマテラピーのインストラクターとセラピストの資格を持っていて、そこはおそらく長所の部分。
気分は香りで結構コントロールできるのだ。
テンションをあげることも、落ち着くことも、
ロマンチックになることもできる。
そんなにおいについては、いろいろ感じてしまうのだが、
1番好きなのは、表現は難しいけれど、
自然の空気のにおいだ。無臭ではないはずなんだけど。
発達障害支援センター
自分の区の支援センターを調べて行ってみる。
相談員の方がお話を聞いてくれる。
履歴書のように、学校や職歴を記入しなければならなかったのが、当時、頭も心も消耗しきっていた私にとって結構苦痛だった。
まだ、診断前だったため、今どんなことに困っているのかをお話した。
大なり小なり誰もが持ってる苦手な分野のレベルが生活に支障を来たすがどうかだと、
得手不得手があるから、得意なことをやったらいい、今は自分の身体を大事にしたください、本当に辛ければ、逃げればいい、嘘も方便、逃げる理由なんてなんだっていいんだ、あなたは人が良すぎる、身体を壊したら何もならないなどと言われた。
誰にも吐き出せない状況だったから、全くの他人に聞いてもらうことで、少し気が晴れたような気がした。
診断を受けてみようと思っていたので、病院をいくつか紹介してもらった。
1つ1つネットで調べて、良さそうだなと思ったところに連絡してみた。
やはり予約が何ヶ月もいっぱいで、またそこの予約受付対応をしてくれた方が、今度は、予約なしで診てもらえる病院をいくつか、紹介してくれた。
そして1つの病院を決めました。
私が診断を受けるに至った経緯
約半年前に、新しい仕事に就きました。
今までいわゆるオフィスワークをしたことがないので、自分の仕事のスケジュールを立てたり、パソコンで資料を作るということはしたことはありませんでした。
ワードもエクセルも使えるし、
自分がまさかできないと思っていないので、
慣れてくればできると思っていました。
ところが初めて出した資料をみて、上司が激怒しました。これは人に出す資料じゃない。間違いだらけ、教えた通りにまるでやってない。
まず、半角、全角の間違い、太線、細線の間違い、勝手に表をオリジナルに変えてるなど、
怒られた意味がわからなかった。
指示されたのは、とりあえず予定を立ててみてと言われたので、文字通り、とりあえずだったのだ。
数字が全角でも、半角でもわかるし、線は元々もらった資料にも間違えたところはあった。
表は増やしたらいけないとは、わからなかった。
はじめから完璧にして提出しなければいけないとわかっていたら、直してた提出していたかもしれない。
でも私の理解は、文字通り、とりあえずだったのだ。目的は、スケジュールがわかることで、とりあえずどこまでできるかをみるためなら、目的は果たしてるのに、なぜ怒られるんだろう。はじめから、そこまでだと言ってくれという思いでした。
ところが、何度作ってもミスは無くならず、チェックをしても尚、間違いがある。そしてその資料を作るのに、恐ろしく時間を取られる。
自分が何をしているか、わからなかった。
全く仕事ができないので、一日で一体何をしてるのか、スケジュールをたてて、日報を提出することになる。
日報、これが、また一日の流れを書くのに1時間、直すのに、30分、所感を書くのに30分と2時間かかる。日報が書けずに、残業するわけに行かず、持ち帰って、2時間かけて日報を書く。そんな日々が続いた。そして、その日報を上司に、1ヶ月分添削をして戻された。
それをみて、愕然とする。誤字脱字、句読点の間違い、主語が何度も出てくる。何が書いてあるのか非常にわかりにくいものだった。
それとは別に社外の仕事では、忘れ物をしていく、忘れ物をして帰る。訪問先に行く道が何度通っても覚えられない。行ったことある場所なのに、次行く時には、忘れていて、覚えたつもりでもまるで自信がない。
そんなことがあれこれ続き、ほとんど鬱的状態になり、さらに間違いが増え、頭が混乱し、自己嫌悪に陥る。いつも早くに出勤し、日報の誤字脱字を直す、夜はいつまでも日報が書けずに、帰れない。もう精神的にもぼろぼろでした。
そして言われる言葉は、何度も言ってますよね。聞いてますか?真面目にやって下さい。やる気がまるで感じられないなどと言われる。私の中では、限界に時間も頭も使っての結果なのだから、もう自分がどんなに頭が悪いのかと思うしかありませんでした。
本当にこんなにもできないのは、もう年なんだろうか?上司は何年もやってるから当たり前で、自分はまだ数ヶ月で経験が違うとか、あるいは若年性認知症になってしまったのかなどと自律神経はもう分裂寸前でした。
そしてとうとう退職を決意したタイミングで、
こんなに何度言ってもできない、怠けているわけではなさそうだし、もうどう教えたらいいか、わからないと上司に言われる。
そして結論として聞いた最後の言葉は、
非常に言いにくいんだけど、ひょっとしたら、どこかおかしいんじゃないかと思うようになって、調べてみたんだけど、ADDについて、診断してもらったらどうかということでした。
もう、自己嫌悪の真っ只中、ほんとに、自分でもどこかおかしいかも知れないと思いはじめていました。そこで初めて、そんな障害があると知り、いろいろ調べるうちに、ひょっとしたら自分もそうかもしれないと、もしそうなら、原因がそうなら、少しはこの気持ちも楽になるかもしれないと、受診を決意しました。
はじめに、ブログを書いてみようと思った理由
私が発達障害と診断されて、今、1カ月が過ぎました。
今のところ、家族、上司、友達1人、両親にしか教えていません。
治療に入り、変化している自分がいるものの、周りに実はこうでしたと伝えるべきなのか、そうでないのか、どうしたらよいかわからない状態です。
ただ、とりあえず、この貴重な体験を残しておきたくて、書いてみようと思いました。
同じ境遇の人の記事を読んで、勇気づけられ、参考にさせてもらっているから、自分の思いや経験も誰かの助けになるかもしれないし。
当事者でしかわからないことを、相談するのは、本当に難しく、理解されないことが多く、思っていてもあまり口に出したことがないことも実はたくさんあります。
胸の中にしまっていたことを、今、すこしづつ、自分自身の障害を知り、話し始めたところです。話さざるを得なかったからですが…。
もうすでに、1カ月が経っているが、何年も続けているFBは、その日以来、何を書いたらいいかわからなくなってしまい、更新がなかなか出来なくなりました。
今までの自分とは明らかに違う自分を知ったことを、自分では、周りの方にどのようにしたらいいのかわからないからです。
すこしづつ、何をどう、体験し、どう変化したのかをここに、書いていきます。
そして過去の、そうとは知らなかった今までの私とこれからの私がどのように変化するのかを書いてみたいと思います。